い ろ な ぶ り

tsubaki rocka
<< 姫 | main | 花と娘 >>
熱病
hokkamuri.jpg


熱病の内に見るは偏執彩る脳髄の花園

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

発熱と頭痛で寝付けなかったのですが、絵を描き始めて薬が効いてきたらだいぶ楽になりま
した。喉からくるタイプの風邪です。

6月だというのに涼しい日が続いていたせいかなと思います。
だし、今月に入ってからいくつか平行して新生活を始めたので、少し疲れたのかも。
身体はともかくとして、毎日いろんなことが頭に流れ込んできておもしろいです。

また、今月はこれから見たい展示が3つあるのと、やってみたい作画があるのと、個人的に
盛りだくさんです。いつでも個人プレーなので充実してる感じが伝わりにくいのですが。


話は変わりますが、久々に本を買いました。ツイッターでギャーギャー言っていたやつです。
やはり素敵なのでアマゾンのリンクを貼ります。
「配色事典ー大正・昭和の色彩ノート」
http://www.amazon.co.jp/dp/4861522471
今の生活の中にこんな配色が溢れたら素敵だなあと思いました。

各国それぞれに色彩感覚が違うといいますが、それは空の色や気候に影響されると本で読ん
だことがあります。日本の空はどちらかというと澄み切った真っ青ではなく、少し曇っている
んだそうです。そのため、日本人の色彩感覚はビビッドというよりはスモーキーな感じなのだ
とか。上記の本や日本の伝統色の本を見てみると、なんとなく合点がいきます。
色は当時の染色技術や染料に左右されるものですが、人々に愛され現代に伝わる色の数々
は、限界というよりは日本人の生活に無理なく沿った色味だったのでしょう。

大正時代のイラストレーションや新版画の背景の色にはけっこう意味があるそうです。
革新的で新しいものが好まれ、国全体が活気ついていた頃、お約束としては淡めの背景を使う
べきところに鮮血のごとき赤を用いるなど、時代を闊歩する大衆の心理が求める印象という
ものが色濃く反映されているんだとか。


今わたしたちが求める色ってどんなものでしょう。
街には様々な色彩が溢れ、色とりどりの服を着た人々が往来しています。
生活の中に置きたい色、身につけたい色、象徴的な色、色にはいろいろな意味があります。


墨と朱を主として絵を描いていた先日まで、わたしは自分の色が全く分からなくなっていまし
た。自分の中に色がなくなってしまったような感覚です。
ムラッ気はよくないけれど、またひとつ勉強になりました。
「色を失う」ことはあるようです。


わたしは色を失うし、味覚を失うこともあります。
時には音楽がわからなくなるし、視界に収めた情報がよく分からなくなる事があります。
酷い時には自分が何をしているのか分からなくなることもあります。
でもそれは多分、脳の中の連結や分泌物の様子が少し混乱しているだけで、大したことじゃな
いんだと思います。だから、そういうときが来たらそのときの様子をおぼえておく。
脳と肉体を切り離すと、身体や視界がグラグラきても、頭の中に意外と冷静な場所が見えてき
ますね。そこはすごく落ち着いているので、口の中で白米の味が変わったりするのを、
「あ、これはちょっとホコリっぽい」とか記憶できたりするのです。
そうすると次に詩を書こうなんてときにスラスラと「米がホコリになりました」と書ける。
そうやってわたしの詩は割と実体験でできているので、自分で好きです。


こういうのと一生うまく付き合っていけたら楽しいですね。
自分の脳と、その反応によって左右される各種神経が一番のおもちゃです。
| 椿六花 | イラスト | 03:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |









http://naburi.jugem.jp/trackback/119
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>
+ 本館
+ PROFILE
+ twitter
+ SELECTED ENTRIES
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ RECENT COMMENTS
+ LINKS